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押し寄せる波
ゆっくり振り返る余裕もなく・・・というよりは、通院している間、考えないようにしていたのかもしれない。
死んだポッケのこと。仕事を辞めたこと。長年住んだ家を取り壊したこと。そして友人を亡くしたこと。 思いきり泣きたいのに、きっかけがない。 本当は涙も出ないほど、ドライなのだろうかと、自分の心を遠くから眺めてみる。 そうかもしれない。違うのかもしれない。どちらなのかよくわからない。分からないままにしておく。自分を責めても何にもならないから。でもー ポッケは生きたかったのだろう。 もっと面倒見てやりたかった。でもあと一日遅れていたら、私の左目はダメになっていた。ゴメン。引きかえにしてしまった・・・ 友人にとって私は、居心地良い存在だっただろうか。随分めんどくさいやつだったに違いない。申し訳ないことをした。でももう謝れない。 「終ったんだよ」 友人のお母さんが私になんどかそう言った。涙を見せず気丈にふるまうおばさんに危うさを感じながら、私の中に「終わった」という言葉が刻み込まれる。終わりは必ず来る。とてもさりげなく。 言葉も情景も感触も、不意に寄せてはまた引いてゆく。 揺れながら押し寄せる感情は、不発のまま消え去る。出し切れない不安定感が残り続ける。 そんな気持ちを抱えた私から、ポッケの鳴き声も、友の話し声も、少しずつ遠ざかってゆこうとしている。 申し訳ございませんが、記事に直接関係のないTB、コメントは削除させていただく場合があります。ご了承ください。 検索
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1 2018年 11月 18日
![]() それは自分の年齢に起因すること。 いわゆる現役世代を退く時期が近づいてきたとき生じる、焦りや寂しさ、イライラ、諦めなど、諸々のマイナス感情をどう乗り越えたらよいものかと思案する。 人が年をとったと感じるのは、体の傷みや衰えを感じるときはもちろんだが、自分が社会の中で働ける場を失ったときだと思う。 そして、年をとるのが切ないのは、自分自身はまだ働けると思うのに、周囲が自分に期待していないと感じるとき。 彼我のギャップをできるだけ小さいものにしたい。そこをどう乗り越えればよいかが知恵の使い所である。 樹木希林は生前、 時が来たら 誇りを持って 脇にどけ と言っていたそうである。これはとても含蓄の深い言葉である。いつまでも自分の場に執着するのは決して良いこととは思わない。 自分にとって居心地の良い社会的立場を、いつまでも保持し続けようとせず、後進に滞りなく道をあけ渡すことは必要だ。その時機をずるずると延ばすようなことがあってはいけない。 でも、自分の信じることを黙々と続けることは、とやかく言われる筋合いのものではない。脇にどいても、自分のすべきことは、見失わずにきちんと持っていたい。 もし、認知症にならず、重い病に侵されずにいられたなら、社会の動きには常に目を凝らしていたい。また、長く生きたなりの知恵を持っていたい。それを説教臭さなしに伝えられたらよいのだが・・・ その方法を模索することが、高齢者の課題かもしれない。 ▲
by hikoso
| 2018-11-18 02:23
| 日々のくらし
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